ikasamaTV いか様

ikasamaTVのブログ

このブログでは、関西・近畿とその隣接域を主体に、主に車中泊キャンプの様子や野外活動にまつわること、趣味の蕎麦食べ歩きや愛車・クルマのことについて綴っていきます。

父、逝く

令和3年12月27日、日付が変わったばかりの深夜0:28頃、父がこの世から去っていきました。

特段大きな病気や闘病をしていたわけでもなく、糖尿病の気配や白内障などはありましたが基本的には健康で…と誰もが信じて疑わない日々の状態があり、老後の人生を妻(我が母です)と二人での生活を送っていたところでしたが、あまりにも突然の出来事で、家族はじめ誰もが、「え、なんで…」と絶句しています。しかしよくよく我が母からの話を聴いてみると、この数年で時折父が「胸がチクチクする」等の心臓の異変を感じていたような発言が時折あったようでした。これは今となってわかったことですが、父本人自身が異変を大事の始まりと思っていなかった気配があり、言わば本人にとっては大したことのない自覚だったんだな、ということが状況としてわかりました。つまり本人を含めて誰しもが健康状態の変化を意識していなかったことだったんだな、と推察されます。生前の父は人への気遣いが素晴らしい人物でしたので、もしかすると周囲を心配させないように、病変に気づいてはいてもそれを誰にも言わなかったのかもしれません。確かに、そういう性格の持ち主だったことは息子(いか様)も知るところであり、そう考えてみれば頷けることでもあります。しかし、全ては遅すぎました。

父は、妻思いでとても子煩悩でした。生真面目な性格ながら大酒飲みで、趣味は釣りと囲碁。この十数年は釣りはしなくなっていましたが囲碁は亡くなる直前まで楽しんでいたようです。直近では行くのを嫌がっていたデイサービスで囲碁の好敵手を見つけたようで、最近では嫌がっていたデイサービスに行くのが楽しみになっていた、と母から聴きました。後日、そのデイサービスへ私が行き父が亡くなったことを伝えると、職員さんからたくさんの哀悼の言葉を受け、同時に父が好敵手と思っていたとある男性老人との囲碁を通したやりとりと人間関係について教えていただけました。そのご老人、父が亡くなったことを知るときっと寂しがるんだろうな…と思えるぐらい意思が通じ合えていたようでした。

私が35歳の頃、実家を出ての生活をはじめましたが、その時父は大層寂しがっていたと母から聴きました。そして帰省の度に大喜びしていたようでしたが、実際に私が帰省してもそんな素振りは見せず世間話や私の近況などを聴いて、「そうか、そうか。」と特にあれこれ言うこともせず私の言うことを静かに聴いていた様子でした。母が言うには、「あんたが出ていった時、お父さん泣いてたよ。寂しかったんだろうね…」と。

また直近では足取りが悪くなってきた父へ、昨年の父の日に私から父へ華やかな杖をプレゼントをしたんですが、ちょうど昨年11月頃かな?通院したときに父がその杖を忘れてきたのか無くしたのか、とにかく「杖を失った!」という事実に大泣きしていたそうで、普段滅多に自分から電話などしない父でしたがその時ばかりは自力でその日に訪れた病院や店舗へ忘れ物の問い合わせをしたり、担当してたケアマネージャーへ「息子が買ってくれたのと同じ杖を用意してほしい」と必死で無理なお願いをしていたようでした。親父、おれが買った杖は贈呈用に作られたものだから、介護保険でレンタルや購入できるような杖とはちょっと違うんだ… でも父はそんなことはどうでもいい、とにかく同じものがないと息子に申し訳ないという気持ちいっぱいで必死になっていたと、昨日母からそんな様子を聴きました。流石にこの話を聴いて、私も涙を抑えることができませんでした。

とにかく子どもが大好きで大変我が子を可愛がってくれた父でした。私が若い頃は親父と見た目がよく似ていたことを嫌い、人にそのことを言われるとあまり気持ちのいい思いをしていなかった私ですが、父はそのことを当時から知っていましたが、これも私自身の涙を誘います、親父、そんなことを知って悲しかったんだろうかな…と思うと後悔の念でいっぱいになり… でも私も思春期を過ぎた頃からはそんなことは一切思わず、逆に父に似ていることを大きな喜びと感じていました。まあ思春期の頃はいろんな意味で敏感なお年頃ですからね^^; 父はとにかく、性格が顔に出たような趣きの人でした。優しげで徳のある顔立ちでした。愛の深い顔というか、とにかく大きな優しさを感じる表情でした。

 

父の死亡診断は「急性心臓死」でした。あまり聞き慣れない気もしますが、いわゆる急性心不全的な意味合いですかね。心不全は心臓の異常の総称みたいなものですから実態的にはなにかの特定病かもしれませんが、これまでの経緯や死の間際の救急診断では詳細はわかるはずであろうことはありません。でも心筋梗塞のように大きな痛みを伴っていなかったようではあります。それがせめてもの救いかな… ただ臨終間際にそばにいた母の話では、異変を感じてから意識消失まで然程時間はなかったようでした。あまりにも急過ぎて、母もどうしていいかわからず、薄れていく父の意思や表情を見つめながら辛うじて救急車を呼んでずっと父に「しっかりして、お願い!」と声だけをかけ続けていたようです。通報後10分もせず救急隊が到着しましたが、その時すでに(救急隊の話では)父は事切れていたようでした。つまり、父は自宅で我が母に看取られながら急速にこの世を去ったことになります。死亡診断は救急病院での話ですが…

流石に母はこの時からほぼ正気を失い泣き崩れ精神的に非常に危険な状態に陥ってしまいましたが、昨日今日でようやく日常を少しずつ取り戻せそうな気配が見えてきました。今日に至っては、父の死を知らせる寒中見舞いのハガキは自分で作る!と強い意思が見えてきています。父の死から10日経ちましたが、ここまで、母の気持ちを支えるので私は精一杯でした。

 

家族として、ひとまずは一つの山を超えそうなところにたどり着きました。ただ悲しみは大き過ぎますがその反面私は概ね至って冷静を保っています。今回生まれてはじめて喪主を努め、悲しみに暮れる余裕など一切ありません。これが功を成しました。通夜葬儀の進行はじめ今後の膨大な死後事務を捌くには悲しみを感じる暇はありません。今後しばらくはこんな状況が続きそうです。少なくとも遺族の安心を確保するまでは…

 

親父、おれの気持ちを言う。しっかり聞き届けてほしい。

あまりにも突然過ぎて、未だに信じられない。本当に逝ってしまったのか親父?悪い冗談だろ?でも、死に際にいろんなことが頭に思い浮かんだんじゃないのか?自分自身もまさか今この瞬間にこんなことになるとは…と思っていただろう。限りなく少ない時間でいろんなことを考え伝えようとしたと思うしそれは察するに余りある。現実的は実現できなかったけどな… でもそんな中でもいくつか親父が言わなくても考えなくても用意に推察できることはある、それは、「お母さん(妻)を頼む」、「お前ら(子ども達)しっかり生きろ」、「迷惑かける、すまん」、「後のことは何とか頼む」じゃないのか?そうだろ。

任せておけ。おれが完璧にこなしてやる。後の事は心配するな(^^) おれは親父の息子だ信用しろ。

 

そしてはっきりと言いたいことは唯一。

 

 

親父、ありがとう。

 

 

 

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